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KEIGO (Vo.)

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生年月日:1974/7/29
星座・血液型:獅子座・A型
出身地:神奈川県横浜市
MAKOTOとの区別の仕方:落ち着いてる方、几帳面な方、エッチな方

LinkIconKEIGO'S's biography

Biography

0歳  
1974年07月29日 誕生。当初は8月上旬に生まれる予定だったが早まる。
2980グラム。
両親が「明」や「博」などの一文字で考えていたようだったが、お坊さんに「一文字にしない方がいい」と言われ、命名を託し「敬悟」となる。
3歳  
とても優しくおとなしく我慢強い性格だったが、母型のおばあちゃんの住む函館へ行ったとき、カラスの腕時計に一目惚れし母にせがむ。
かなり泣き喚いて、八百屋のおじちゃんから飴玉を貰う。
母も降参して腕時計を買わされる。
その頃から右腕に腕時計を嵌める人があまり居ない事に気づいたKEIGOは、腕時計は右腕にする事を決意。
沢田研二さんが歌う「勝手にしやがれ」をテレビで観て、帽子を飛ばすシーンが格好よかった。
好きになった最初のアーティストかもしれない。 
5歳  
小児喘息のため、入退院を繰り返す。
看護婦さんが注射をする前にガーゼで腕を拭かないと注射できないのがわかったKEIGOは、ガーゼの入ったビンを奪い取ったが「返して…」と言われ、仕方なく返却し血を採られる。
ちなみにKEIGOは注射で泣いた事が無い。
山本君や、近所の女友達とよく遊んでた。 
6歳  
幼稚園の先生から「漢字を書くのはまだ早い」と親が注意されたらしい。
帰宅をすると父型のお婆ちゃんがピアノを弾いていたり、NHKラジオで英会話のレッスンをしているのに興味を持つが、ピアノは女の子が弾くものと勝手に判断する。    
7歳  
小学校1年生。自己紹介で「わたしは…」と言ってクラス中爆笑されるが、当時担任の後藤知恵子先生が「大人になれば男の子もわたしって言うんだよ」とフォロー。
友達の家の前で下村君のゲームウォッチ「オイルパニック」を排水溝に落としてしまい、友達の親が弁償してくれる。
8歳  
学校で原田君とケンカになり、椅子で頭を打たれて癲癇(てんかん)に掛かる。
この頃KEIGOはテレビの影響をかなり受け、友達の洋平といくつものCMの物真似をみんなの前で披露する。
「太陽戦隊サンバルカン」のバルパンサーが好きになりカレーライスを好む。
国語の授業で学んだ「チックとタック」を学習発表会でやることになり、みんなからチック役に推薦される(主役)。
幾度と練習をしたのだが、本番の日に一生懸命練習したダンスを飛ばしてしまうが、クラスメイトのみんなは優しく気遣ってくれた。
9歳  
初めて国語のテストで100点を取る。
ガンダムのイラストを上手く書く小川君のお父さんに頼んで、当時見た目が好きだった「ズゴック」を書いていただき部屋に飾っていた。
地元のソフトボールチーム「富岡ホワイトタイガー」に入り、当時好きだった読売ジャイアンツの淡口選手と同じ35番をもらいニンマリ。
篠塚選手も好きだったためセカンドを志望。
10歳  
算数で0点を取る。これで僕は算数が苦手ということがわかり、苦手科目になる。
音楽、特にリコーダーが苦手で、みんなの前だと緊張して手がプルプル震えてしまう。苦手科目に加える。
13歳  
中学入学。同じクラスには幼稚園で一緒だったメンバーや、山本君の家の裏に住んでいた今では大親友の佐久間君と再会。
体育係を前後期に渡り務める。委員はクラスでの話し合いの時に発言などしなくていいと思い、書記を後期に務める。 
14歳  
新しい先生が来られたお陰で軟式野球部が復活し、軟式テニス部を辞め軟式野球部に入る。
日本テレビで放送されていた「欽キラリン530」という番組に興味を持ち、CHA-CHAが好きになる。
姉が観覧応募に当選し、新宿の富士銀行地下にあったスペース107という場所で番組収録を楽しむ。
東京の高校野球強豪校に進学し、甲子園に出場となったため佐久間君を誘い甲子園球場へ行く。
15歳  
体育祭で学年別対抗リレー・大玉転がし・部活動対抗リレーでアンカー走者を務める。
16歳  
高校1年。共学なのに選択科目の関係で男子クラスになってしまう。
テレビ朝日で放送されていた「ミュージックステーション」のランキングで、ASKAの「はじまりはいつも雨」に興味を持ち、翌日ジャスコでシングルを購入。
硬式野球部に入ろうとしていたが、中学時代から嫌われていた男友達が入部したため、陸上部に仕方なく入部。
秋の大会で、坐骨剥離骨折をしてしまい以降幽霊部員となる。
男子バレー部が春の高校バレーなど出場のため、応援団に入り校旗担当に。サンケイスポーツから取材され写真も撮られる(記事等未確認)。
17歳  
席替えで座席が中央の最後部。となるとやんちゃの男女が周りに集まり、色んな女の子からも声をかけられうようになり、内心ニンマリしていた。
横浜アリーナの立見席で初めてCHAGE AND ASKAのコンサート(BIG TREEツアー)に参加する。
18歳  
席替えで座席が廊下側の最後部。隣の列は女の子なので、よく話しかけられたりしていた。内心ニンマリ。
CHAGE AND ASKAが「YAH YAH YAH」をリリースし、代々木第一体育館で「LIVE UFO'93」を開催。
このコンサート後、すぐにファンクラブに入会し現在に至る。
19歳  
デザイン系の専門学校に入学し、プロダクトデザイン・色彩学・写真学・CADなど勉強するが一年で挫折…。やはり4年で行うことを2年でやるのに困難だと判断。
この頃から独学で作詩(メロディが無い散文詩的なもの)をしていた。 
20歳  
横浜アリーナにて成人式。ゲストに爆笑問題と中村あずささん。
姉が行ってたこともあり、都内の大学に入学。
入学当時は教員免許を取って、女子校で先生をやりたい願望を持っていた。
友人の佐久間君も入学していて、佐久間君が現在の相方MAKOTOと知り合い紹介してもらう(これが僕たちの出会い)。
KEIGOは作詩していることを言い、MAKOTOは曲を作っていることを知る。
21歳  
そしてKEIGOは、自分で作詞した作品に曲をつけてもらえるようMAKOTOに打診し、出来たのが「TODAY」という曲(後に歌詞は変更され「Innocent Love」になる)。
また、MAKOTOが当時所属していた「RISE」というバンドのライブを観に東京駒込にあるライブハウス「サウンドファクトリー」へ行く。
22歳  
KEIGOもステージで歌いたいということで、MAKOTOを含めた5人でリハーサルを行っていたが、当日ギターの友人が行けないことになり4人でやることになった。
オリジナル曲をKEIGOが歌い、他のメンバーはカバー曲を披露。
「好き」では、KEIGOが音程を外してしまう一幕もあった…。
23歳  
二人で作成していた楽曲を一つのアルバムにしようということになり、1999年10月13日にカセットテープとMDにMKone1stアルバム「MKone」が完成。現在に至る。


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