MAKOTO (Key.)
生年月日:1974/8/24
星座・血液型:おとめ座・O型
出身地:東京都中央区
KEIGOとの区別の仕方:よく喋る方、ノッポな方、仕切りたがる方、女の趣味が偏ってる方
MAKOTO's biography
Biography
0歳 |
1974年08月24日 東京港区にて誕生。出産予定日よりやや遅れて出産。3660グラム。
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3歳 |
今とは違い、とても優しくおとなしく真面目な性格だった。
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4歳 |
幼稚園に入学。
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5歳 |
ピアノを習い始める。音楽は好きだったが、厳しかったのでレッスンが嫌いだった。
半年後、教室は閉鎖。当時のMAKOTOは本当に喜んだ。
だが、その後も鍵盤に対する執着心はあり、春休みや夏休みに母方の実家に遊びに行くたびにオルガンを弾きまくっていた。
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7歳 |
超お堅い生真面目な小学校に入学。創立110周年では今の天皇陛下が来校する程
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8歳 |
この時期からデブり始める。ギリギリで運動会ではリレーの選手だった。
スポーツでの最後の栄光。
奇跡的に逆上がりが出来たのも小2の時だった。
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9歳 |
剣道を習い始め小学校6年まで続ける。
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11歳 |
映画は基本的に好きだったが、我が家にMAKOTOの強い希望で、やっとビデオが導入。
映画「グーニーズ」を見まくったのが今日の映画好きへの入り口でもあった。
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13歳 |
中学に入学。この頃、どういうワケか明るく積極的なノリノリの性格に。
今の性格の基盤はこの時代に完成。
TMnetworkを聴いて、ロックでも無くディスコでもないサウンドに何とも言えない衝撃を受ける。
生まれて初めて購入したCDはTMnetworkの「Resistance」。
テープは桑田佳祐の「悲しい気持ち」
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15歳 |
PrincessPrincessの「Diamonds」にハマる。受験生のクセにCDとウォークマンをいつも所持していた。
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16歳 |
辛うじて私立高校に入学する。
5月に人生初のショルダーキーボードの「YAMAHA SHS-10」を購入。
毎日のように弾きまくる。
9月13日に人生初のライヴも鑑賞。PrincessPrincessの横浜アリーナにて。
これにも衝撃を受け自分で作曲をしようと決意。
翌年の1月シンセサイザー「YAMAHA EOS B500」を購入。
ここからMAKOTOの作曲人生がスタートする。
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17歳 |
この一年で何曲作曲したか記憶に無いくらい、曲を量産していた。
音楽の授業で作曲の宿題を、やる代わりにジュースをおごってもらっていた。
プロ作曲家気取り。
この年リリースされたB'zの「Pleasure'91 ~人生の快楽~」は今でも好きな楽曲。
また人生初のB'zライヴを鑑賞「IN THE LIFEツアー」渋谷公会堂にて、
前から15列目で感激する。
洋楽にハマり始めたのもこの頃である。
自作の曲をテープに録音を開始する。
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18歳 |
高校卒業時にボーカル入りで自分の楽曲を1本のカセットテープにまとまる。
作詞は自分でも数曲行っていたが、残りの半数の曲は中学の同級生に依頼。
自分で書くと時間がかなりかかる事を痛感した年でもあった。
TBSラジオ「KIX・Sのパックインミュージック21」にて、
MAKOTOが作詞・作曲・編曲・演奏・ヴォーカルの作品「I Can't Go Back」がオンエアーされる。音楽的ピークを迎る。
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19歳 |
浪人時代、生涯の恩師、内海信彦先生に師事。
画家である内海氏は某予備校にて、人文系論文、芸術系論文の講師でもあった。
ここで「自分は何者ですか?」をアーティストの使命と感じる。
自分は何物で何処に向かうのか?芸術家は物事の本質を知ろうとする姿勢であると痛感。
時事問題、歴史問題もクリエイティブな活動には欠かす事の出来ない要素と知る。
内海氏との出会いが芸術に対する今の姿勢をMAKOTOに示した。
一浪の末、大学に進学し機材を「YAMAHA SY99」と言う名機に乗り換える。
またMAKOTOのトレードマークである鍵盤数76鍵はSY99による影響が覗える。
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20歳 |
相方と出会う。
共通の知り合いを通じて、顔見知りに。初対面はその程度であった。
同じ頃、高校時代の同級生と「ZERO」と言うビジュアル系バンドを結成。
キーボードと作曲を担当。しかし音楽性の違いからMAKOTOは脱退。
バンド名も「αーROOTS」に変わり、一層のビジュアル色を強めていく。
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21歳 |
大学3年の時、共通の専攻クラスで相方と再会する。この時期から二人の楽曲製作(MAKOTOが作曲・KEIGOが作詞)が始まる。
前年のバンド脱退後にMAKOTOは自分のサウンド主体になるバンドを探していた。
当時の他学部の友人の石島君にギターを依頼し、ヴォーカル&ギターをクラスメイトの有賀君に、また女性ベーシストを入れた4人でバンド「RISE」を結成。
ライヴを11月に敢行!
東京駒込にあるライブハウス「サウンドファクトリー」にて。
これがキーボーディストとしてのMAKOTO初ステージ。対バンは「αーROOTS」
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22歳 |
卒業論文と就職居活動に追われる毎日が冬まで続く。
去年1夜限りのライヴの興奮を忘れられないMAKOTOは卒業前にライヴを行う事を計画。
再度メンバー集めからのスタート。
クラスメートでメンバーをつのりバンド結成。バンド名は「proof of power」。
大学時代の所属していたソフトボールチームから名を拝借。
メンバーは、サウンドプロデューサーとシンセサイザーはMAKOTO、ギターは去年にヴォーカル&ギターの有賀君そしてボーカルは同級生の直ちゃん、岡澤君、そして相方のKEIGOのトリプルボーカル。
しかし、ギターの有賀くんが急に入社の研修がライヴ当日に入り4人で行う事に。
MAKOTOも会社の新人研修でロサンゼルスに行ってたので、帰国後4日で
全てのサウンドを再構築。
どうにか4人でのワンマンライヴを成功させる。これは大学時代の一番の思い出。
ちなみにMAKOTOもここでヴォーカルデュー♪
B'zの「LOVE PHANTOM」を熱唱。かつて無い感動を味わう。
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23歳 |
大学卒業後、デジタルMTRのKORG D8を購入。同じ時期に現在も
メインマイクとなる機材SENNHEISER社のe855を相方が購入。
同じダイナミックマイクのSHUREも視野に入れていたようだった。
新機材で新しい力を得た二人は1999年10月13日にカセットテープとMDにアルバム「MKone」が完成。
現在に至る。
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